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2009年6月

中途半端

私は、母であり、妻であり、嫁であり、娘であり、会社後継者であり、税理士であり、部下であり、上司であり、弟子であり、そして、女でもあります。

自慢や言い訳ではありませんが、ただでさえ不器用なのに、すべてを100%理想形にすることは、率直に言って、できません。

すべてを、他の方の協力や厚意なしに続けることは、大変難しいです。

すべてが中途半端、と言えます。

でも、逆に言うと、すべての立場を、少しずつ理解することはできます。

また、その立場になった時間は、できるだけ徹底してそれに集中しています(とは言っても、割り切ることが難しいときも多いのですが)。

今の時間は、今しかありません。

中途半端でも、それが自分の人生です。

そのことを受け入れずして、いったい何があるのでしょうか?

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ロバート議事法

私は去年まで(社)石巻青年会議所(石巻JC)の現役会員でしたが(年齢制限で、もう卒業したのです)、石巻JCでは、理事会で議事を進行する場合に、「ロバート議事法」という手法を採用していました。

いろいろ細かい会議のルール(マナーと言ってもいいのかもしれませんが)が合理的に決められているのですが、私がいちばん合理的で民主的だと思っているのが、

「一度審議で決定されたものは、蒸し返して議論しない」

ということです。

当たり前のようなことですが、たいていは、ここまででなくても、ビジネス上の会議は、合理的で民主的な手法によって運営されています。

ですが、残念ながら、そうでない場合もあります。

先日も、遅くまで議論を重ねて、いろいろなことを決めたのに、昨日、作業だけをする人たちが集まった席(しかも、昨日は、会員の半数以下しか集合しないという場だったはずなのです)で、先日の決定をくつがえすような内容に決まったようなのです。

では、先日、遅くまで残って決めたことは何だったの?????

一気に、モチベーションが下がったような気がしました。

何が原因か?

①構成員が、組織運営というものを理解・認識・意識していない、②その場にいない人のことを考えていない、③リーダーのリーダーシップの欠如、があげられるのではないでしょうか?

今年は私はその会議では、「1年生」ですので、もう少し年長になってから、ロバート議事法の手法を取り入れてもらえるように進めていきたいです。

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センス・オブ・ワンダー

ずいぶん前のことですが、イッセー尾形さんのひとり芝居を観に行ったことがあります。

彼は男性はもちろん、女性にも、オカマにも、子どもにもなれるのです。

観客に見える場所で、着替えやヘアメイクもするのです。

その、あるお芝居の中で、人をずっと待っている場面があり、主人公がいろいろと独り言を言うのですが、ある瞬間、ふっ・・・と爪を見て沈黙した後、

「こんなときでも、爪は伸びるね」

とつぶやいたのです。

観客はハハ、と笑ってしまいました。

でも、そうなのです。

誰が指示を出して動かしているのか、分かりませんが、生きていれば心臓も動くし、髪も伸びる、胃は食べ物を消化して、血液を通して栄養を体中に循環させているのです。

心がそう意識しているわけではありません。

天気も、海や川、風など、いろいろ科学的には解明されていますが、ではそれをそもそも動かそうとしている源は何なのでしょう?

宇宙の果てってどこなのでしょう?

人間が亡くなったら、魂はどこに行くのでしょう?

不思議なことって、考えたらきりがありません。

ときどき、これはすごく緻密な夢なんだ、と思ったり、自分の人生は、誰かが考えた映画のようなものに出演しているってことなのかな、などと考えたりします。

ほんとに、おもしろいです。

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貸借対照表が教えてくれること

「貸借対照表」は、資産・負債・純資産から構成されています。

「資産=負債+純資産」という数式が成り立ちます。

資産とは、現金や預金、売掛金(販売したがまだ代金が回収されていないもの)・在庫、建物・車両・土地、有価証券・出資金など、「プラスの財産」として目に見えるものが主な内容です。

負債は、買掛金(商品等を仕入れたけれどもまだ支払っていないもの)・借入金など、これから支払わなくてはならないものが主な内容です。

純資産は、株主からの出資と利益の内部留保の蓄積が主なものです。

営業活動を行なった結果は、「損益計算書」で表されますが、そこで生まれた利益がどういう形で残っているか、が問題です。

そこに、経営者の人生観が表れます。

もう1つ、資産がどのように調達されたかを表すのが、負債と純資産の内容で分かります。

預金はたくさんあるけれども、借入金もたくさん残っている、というのでは、経営に余裕があるとは言えません。

しかし、世間の人たちは、目に見える部分しか分かりません。

立派な自社の社屋があり、経営者が高級外車を乗り回している、という光景を見ると、たとえそれが多くの借入金によって購入したものであっても、「あの会社はすごい、利益がたくさん出ているのだろうな」と思ってしまいます。

しかし、万が一のことがあって、会社を清算するという事態になったとき、役員や従業員に退職金を支給したくても、社屋で支給はできません。もちろん、借入金がたくさんあれば、それを返済するのに、資産と言えるものは差し押さえられてしまいます。それが「立派な会社」と言えるでしょうか?

会社経営だけでなく、毎日の生活でも、「目に見えない部分」を「看る」ことが重要なのです。

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おもしろくないこともあるけれど

おもしろくないこともたまにはありますが、そういうことにこだわっているよりも、別な楽しいことを考えたほうがいい、と考えられるようになってきました。

なるようになるかもね、って感じです。

今は自分ができることをやるだけです。

そうですよね?

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自分の代わり

主人の友人で、ミュージカル俳優の方がいます。

2年前、仙台に公演で来たときに、その公演後、一緒に食事をすることができました。

ブロードウェイでも何度も演じられた有名なミュージカルで、大物女優が主役で、彼はもう一人の主役、といった感じでした。ひいき目かもしれませんが、彼の方が生き生きとしているように感じられました。

通常、長期にわたる公演ですと、ダブルキャストになっているものですが、これは、そういう公演ではありませんでした。

私たちは、昼の部の公演を観たのですが、夜の部のステージで走り回ったり、踊ったり、歌ったり、の後、屈託のない笑顔で、彼は現われました。

同じ日の昼と夜の2回も公演があり、何日間かそれが続きます。

高校時代は演劇部、中学から大学まで吹奏楽をしていた私は、本番の大変さは、プロとアマの違いはあれ、少しは分かります。

よほど疲れているんじゃないかと話すと、「仕事があるだけ、幸せだ」というようなことを、彼は言いました。

また、自己管理が非常に大切だ、とも話してくれました。

その夜も、アルコールはまったく口にしませんでした。タバコや風邪なども、声が出なければ仕事にならない、ということで、非常に気をつけているそうです。

「だって、この役は自分だけで、代わりがいないんだものね」

まだ独身の彼は、そのとき3人目の子どもの父親になろうとしている主人に、「何だかだいぶ遅れをとってしまったな」と、少しさびしそうに言って、手を振りました。

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引っかかる原因

先日、若い女性向けの雑誌を美容院で読んでいましたら、今、売れっ子の女性会計士(「会計士」業は最近は本業ではないような気がしますが)の記事の中に、質問コーナーがありました。

「上司と相性が合わないときはどうしたらいいの?」

という質問に対し、彼女は、

「周りを見て、周囲とその上司がうまくいっているのであれば、自分に原因があるのだろうし、自分以外の同僚もその上司とうまくいっていないのであれば、その上司に問題がある」とした上で、双方の場合の解決策を話していました。

さらに、「もし、いろいろなことを試してもうまくいかないのであれば、服装やメイクを変えてみては?」という、いかにも若い女性に受けそうな回答が付け加えられていました。

しかしながら、これは、どの年代にも当てはまることかもしれません。

なぜなら、相手がたとえ自分の部下であったとしても、服装やメイク、さらに言えば、表情やちょっとした口調、会話のやりとりなどの中に、引っかかるようなことがあっても、なかなか注意しづらいことだからです。

よほど常軌を逸したものでない限り、一度注意して、それが直らない場合はたいてい上司の方が諦めてしまうのではないでしょうか?

そのようなことを注意すると、その人のすべてを否定しているようにも思え、その人を傷つけてしまうのではないか、と感じる上司もいるでしょう。

また、相手に違和感を覚えるのは自分だけかもしれないし、と上司が悩むこともあるでしょう。

さらに、上司であっても、「そういう自分は他人からどう見られているのか」ということを考えてみると、100%自分に自信がある、という人はそう多いわけではないからかもしれません。

そこで、気になることがあっても、上司は注意せず、その部下に対面したときに、ストレスを感じるのかもしれません。

それは、上司だけでなく、取引先についても同じことがいえるのではないでしょうか?

仕事も一生懸命こなしているし、実績もあげている、誰が見ても落ち度はないはず、と自分で思っているのに、なぜか、上司に注意されてばかりいる、という方は、少し、上記のことを考えてみてはいかがでしょうか?

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集中力の源

昨日は上の子のお弁当の日でした。

上の子は、今年の3月まで、3年間保育所に通っていました。

保育所でも月1回、お弁当の日がありました。

彼女は、お弁当のフタを開けるときのわくわくした気持ちよりも、毎回同じものが入っている、という安心感の方を好むようで、3年間、フルーツ以外は、すべて同じメニューでした。

今回も、同じがいい、とのこと。

家に帰ってから、「今日のお弁当はどうだった?」と聞いたら、

「少なかった!サンドイッチも、おかずも!」という返答。

サンドイッチは、保育所時代よりも少し多めにしたのですが・・・

もしかすると、学校で勉強するようになり、カロリーの消費量が増えたのかもしれません。

集中力を維持するのには炭水化物が必要なのだと、TVの健康番組で見たことがあります。

炭水化物がないと、脳の方で勝手に「飢餓状態」と判断し、脂肪を貯め込む機能が働くそうです。

上の子と、次回までに、もう少し大きいお弁当箱を買おうね、と約束しました。

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説明責任

ここ数年、「説明責任」に関しては、かなり法律等でも厳しくなってきたように思います。

契約をする際に、消費者が、「説明を受けた」旨の署名押印をする場面も増えてきましたし、食品などの表示に、容器でのケガ防止の注意書きが以前より詳しくなっていたり、お客様窓口センターの電話番号なども表示されています。医療現場でも、「説明」に関しては、患者ニーズが非常に高くなっています。

供給側と消費する側双方を守るために必要なことなのかもしれません。

最近、「説明責任」というのは、購入や契約をする場合の説明と、審査や評価を介した取引がある場合の、その結果についての説明、の2つがあるんではないかな、と思うようになってきました。

法律上、厳しい規制が出てきたのは前者の方で、後者に関してはまだあいまいになっている部分も多いのではないでしょうか?

後者の方は、供給側が、消費する側を、一定の基準によって審査・評価する、というケースが多いのではないかと思います。

ということは・・・

非常に強い言い方になるのをお許しいただければと思います。

供給側で言えば、同じ「販売」という行為なのですが、前者に関しては、供給側の立場は「買っていただく」立場ですが、後者については、供給側の立場は「売ってあげる」立場、というように、微妙に、立ち位置が変わっているのではないでしょうか?

人間が審査や評価をする以上、その結果の内容の説明を、評価される立場の人にも伝える必要がある、と感じるのは、私だけでしょうか?

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健康診断

先日、健康診断がありました。

その中で、初めて乳がん検診を受けました。

すると、何と母乳が出たのです!

第3子を出産したのは去年ですので、母乳が出てもおかしくはないのですが、繁忙期に生まれたため、産後休暇は5週間(それでも休めただけありがたいことですが)でした。職場に出たら、いきなりハイペースで仕事をしなくてはならなかったので、そのためか、母乳は2ヶ月で足りなくなり、すぐにミルク100%になりました。

検査した医師は、「分泌物が出ましたので、細胞検査に回します。ハイ、外来」とのこと。

「たぶん、母乳なので、大丈夫だと思いますが、そういうルールになっていますので」と、検査の結果を2週間後に聞きに行かなくてはならない羽目になりました。

んんんー、現役で母乳育児をしているお母さんたちも、乳がん検診を受けたら、再検査ということになるんでしょうか?

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後継者育成

昨日は、娘が、表千家の教授者の先生方に、表千家流のお茶を教えていただきました。

ほんとに実費程度の負担だけで、先生方のボランティアで教えていただけるのです。

来月も1回、夏休み中は5日間くらい集中講義、秋はお茶会シーズンですので、実践、というスケジュールになっています。

それというのも、茶道を習う若い方が少なくなってきているからなのです。

先生方の熱心さに、娘も、真剣にいろいろと教わってきたようです。

どの世界でも、後継者の育成が急務となっているのです。

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オーダーメイドと既製品

だいぶ前に、村松友視さんが雑誌で書いていたことです。

それは、白いシャツについての記事でした。

村松さんは、

「オーダーメイドも素晴らしいけれど、既製品に自分を合わせるのも、自分の未知の部分が開発されるので、私は既製品のシャツを着る」

とお話されていました。

この感覚、私自身のことに関しては、とても共感するのです。

自分のセンスよりも、他人のセンスを借りた方が、自分が考えもしなかったことが実現するのです。

自分のセンスは、これまで自分が得た知識や経験、先入観に基づくものが多いため、似たような結果になりがちです。

私の場合、自分のセンスは、「誰のセンスを借りるか」という部分に使い、中身については他人の力を借りる方が、いい結果に結びつくようです。

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健康な体を維持する自由

非常に残念なことですが、世の中では、心身に悪い影響を及ぼすものが合法的に販売されています。

しかし、大人なら、自由に選択する権利が与えられています。

私が脳の病気をしたときに、後遺症を予防する大変強い薬をしばらくの間飲んでいました。幸運にも、妊娠や授乳のため、その薬を飲まなくても後遺症が出ることはこれまでありませんでした。

子供ができる前、担当の医師には、「奇形が生まれる可能性は、その薬を飲んだときより、タバコを喫っている場合の方が、数倍高い」と、具体的な数値まで言われたことがあります。

体に悪いものを摂っていて、自分だけが病気にならない、という保証はどこにもありません。

そうでなくても、年をとれば、体は衰えるのです。

選ぶ自由が与えられているのに、自ら悪い選択肢をとることはないと思うのですが、いかがでしょうか。

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結婚記念日

今日6月10日は、私たち夫婦の結婚記念日です。

お陰様で丸9年になりました。

これまでいろいろな方にお世話になりました。

お互いの恩師や友人とも、共通の知り合いになりました。

結婚して初めて分かることもたくさんありました。

皆様、本当にありがとうございました。

これからもよろしくお願い申し上げます。

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戒老録

曽野綾子さんの『戒老録』は、だいぶ前にも読んだことがありますが、年月を経て読み直すと、また、違ったおもしろさが見出せます。

彼女の、”人間の尊厳”というものを根底におきながらも、なかなか一言では表現できない人間の心の襞を、ズケズケと公言してしまうところが、大変興味深いのです。

そして、それらは、年配の方だけでなく、誰にでもあてはまるようなことだと、読んでいるうちに気がつくのです。

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○○が終わったら・・・

先日、お茶のお稽古に行ったときのことです。

まだ私しか来ていなくて、先生とマンツーマンでお点前をしていたときに、先生が、ぽつりと

「子育てが終わったらお茶をまた始めよう、というのは、たぶん無理よ。」

とおっしゃいました。

「子供って、何だかんだ言って、いつまでも手がかかるものよ。仕事や子育てが大変でも、何とか続けていければ、その後も続けられるのよ。○○さんをごらんなさい。彼女も、大変な時期を経たけれど、今続けていけるのは、子育てだからと言って、途中やめなかったからよ」

と、さらに先生はお話しました。

実は、その日の前日まで、いろいろな方から、自分にとっては耳の痛いお話を聞いて、「お茶をやるのは、私のわがままなのかなぁ、少し休まなくてはならないかなぁ」と思っていたところでした。

その日の朝は、だいぶ早く起きて、着物に着替えるかどうか迷っていたのですが、誰も起きてこないし、声をかけても主人も起きなかったので、いいや、と思って、着物を着て、朝の支度を始めたのでした。

その朝の後の、そういう先生のお話でしたので、何だか、私の心を見抜いた上での先生の励ましのように感じました。

そして、その日は、初めて先生に、私の点てた濃茶が「おいしい」と言っていただけたのでした。

先生は、「自分の都合で濃茶を点てる人がいるけれど、ちょっともったいないな、と思えるくらいの加減が、実はおいしいのよ」と言って下さったのです。

お稽古の後、別な習い事をしている娘を迎えに行って、車の中でその話をしたら、娘は、まるで自分の方が親だというような口調で、

「それは、うれしかっただろうね」

と言ったのです。

というわけで、まだまだ私はわがままを続けていこうと決めました。

皆様、よろしくお願いいたします。

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思い通りの人生?

熱心さにより、相手も動かされることが多い、と私は思っています。

相手が自分の思った通りのままでないと、つい、それを嘆いてしまうことがあります。

でも、それは、それで受け止めるしかないのではないでしょうか?

それよりも、相手に対して自分が今できることは何か、を考えるほうが、とても建設的だと思うのですが、どうでしょうか?

初めから思った通りだとすれば、生きていく面白み、挑戦する醍醐味、継続後の達成感、ってないんじゃないでしょうか?

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共通の感動

私は表千家のお茶を習っていますが、表千家の同門会に入会しますと、毎月、「同門」という雑誌が送られてきます。

その雑誌には、家元の言葉や、全国各地で行われたお茶席の様子や道具、代々の家元についてのお話や茶道の知識などが書かれています。

また、その雑誌の表紙はいつも素晴らしい風景の写真に飾られていて、それを見るだけでも、大変心が安らぎます。

先月、家の庭にある楓の花の散った様子を見て、素敵でしたので、写真を撮ってブログに掲載しようかなぁ、などと思っていましたら、その後に来た「同門」の表紙が、花の咲いたあとの生き生きとした楓の木の写真だったのです。私が見たものそのままだったのです。

また、田んぼの苗が、だんだん強くなってくる陽の光によって、次第にしっかりとしてきた様子も、ブログに載せてみようかな、と思っていたところ、6月に送られてきた「同門」の表紙が、田んぼの苗を写真に撮ったものでした。

お稽古などが共通だと、感動するものも共通のものになってくるのでしょうか?

不思議な気持ちになった2ヶ月でした。

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つわり

私は3回出産しましたが、毎回つわりを経験しました。

なぜつわりがあるかというと、体の中に異物(という表現は少し憚られるような感じですが、この場合は、豆粒のような赤ちゃんのことです)が入ってきたために起こる現象なのだそうです。

それも通常の場合、数ヶ月続くと安定期に入ります。

さて、つわりがなくなるのは、自分の体が”異物”に慣らされるからなのでしょうか?

それとも、”異物”の方が、自分の体になじんでくれるからなのでしょうか?

実は、今、「つわり」的な精神状態にあります(「身体的な、」ではありません)。

きっと、あと数ヶ月経つと、安定期に入るでしょう。

自分が慣らされるのか、「異物(!?)」がなじんでくれるのか??

相手を変えようということは難しいので、自分が変わるしかないですね。

そう思ったら、少し気持ちが楽になりました。

いずれにしても、「新たな生命」が創造されるためのプロセスだということには、間違いないのです。

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勉強仲間

1人ではなかなかうまく進まないことも、何人かで集まるとはかどる、ということがあります。

大学時代、簿記や税理士の受験のときは、友人や先輩と一緒に勉強することで、お互いに励ましあうことができたように記憶しています。

職場でも、業界でも、同じようなことができたらいいですね。

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季節を表すことば

今日から6月。衣替えの時期となりました。

私はお茶を習っていますが、着物の場合は、洋服よりもちょっと厳しい決まりがあります。

6月と9月は「単衣(ひとえ)」といって、裏地をつけない仕立て方をした着物を着ます。

7・8月は、夏物で、透けるものを着ます。

それ以外は、「袷(あわせ)」と呼ばれる、裏地をつけたものを着ます。

しかし、着物を着る機会が結婚式くらいしかなければ、6月や9月でも、ホテルの冷房が効いているので、袷を着る方も中にはいます。

また、最近では、温暖化の影響で、5月頃から単衣を着る方もいらっしゃるようです。

お茶の席ですと、季節を先取りするような着方をします。

着物の仕立てに関するルールは上記にお話したことと同じですが、お茶の場合は、床の間に花を飾る関係上、その花と重ならないように、ちょっと先の季節に咲く花の模様の着物や帯をします。

重ならないから、といって咲き終わった花の模様をもってくることはありません。

例えば、秋に咲く桔梗の模様は、夏の着物で着ることになります。

6月になりましたので、単衣の季節になりました。

その他に、お茶ですと、5月からは風炉(ふろ)の季節になります。炉(ろ)は、畳をくりぬいた部分に五徳をおいて釜を据えるもので、冬のものですが、風炉は、釜が畳より上の位置に来ます。また、客と釜の距離は、炉よりも風炉のほうが遠くなります。つまり、風炉の場合は、気温が高い時期ですので、お客様が火の熱さを感じないように設定されているのです。炉の場合は、まったく逆になります。

お茶や着物にたしなみのある方とお話しますと、「風炉の季節になりましたね」「単衣を着るようになりましたね」というのは、夏に近づいてきましたね、ということを意味し、季節の移ろいの速さに共感していることばなのです。

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