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2011年4月

待望の・・・

昨日、ようやく冷蔵庫が来ました。

地元の大手電器店の店頭に並んでいるのは、核家族用や1人暮らし用のものしかなかったので、4月の初めに、主人がネットで冷蔵庫と洗濯機を注文しました。

大型のものなので、運送会社の都合もあったのでしょう、いつ到着するのだろうと思っていましたら、初めは1週間後くらい、その次は4月24日、と延び延びになり、結局、冷蔵庫のほうは27日になりました。

洗濯機は5月になる予定です。

洗濯は、叔母の家で毎日やってもらっています。

避難所生活を経験すると、それまであって当然、と思っていたものが、なくても何とかなる、と思えるようになるものですね。

長男と次男も、本当はすでに保育所生活が始まってしかるべき、の時期ですが、これまで通っていた保育所は津波で流され、町でも全保育所の再開見込みは未定とのことでした。

引っ越し先の近くの私立の保育園では、市で把握している待機児童が昨年10月から待っていること、被害が大きかった市立の保育所から何人子どもが振り分けられるか、不明だということで、これまで返事待ち状態でした。

昨日、やっと、近くの保育園の入園許可がおりました。

5月から通えるようになりました。

子どもたちも少しずつ新しい生活に慣れていかないといけませんね。

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エクレール・お菓子放浪記

昨年撮影された、石巻を舞台にした映画「エクレール・お菓子放浪記」のことが、今朝のTV番組で取り上げられていました。

この映画には、石巻の岡田劇場や日和山、北上川のヨシ原などが背景となっています。

震災前の、美しい情景です。

本当は、3月26日に、地元・石巻で試写会が開催される予定でした。 ↓ ↓

http://makicasi.cocolog-nifty.com/blog/2011/02/post-7828.html

しかし、これができなくなってしまいました。 ↓ ↓

http://makicasi.cocolog-nifty.com/blog/2011/03/post-007b.html

岡田劇場も津波で流され、北上川のヨシ原も津波による被害が甚大です。

映画の中には、地元のエキストラの方々が生き生きと演技をしています。

この映画を、全国各地で上映しよう、という機運が高まってきたようです。

ありがとうございます!

この映画に出演している俳優の林隆三さんも、ギャラを義援金にして下さったそうです。

全国の皆さん、是非、この映画をご覧になって下さい!!

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景気浮揚策のための消費?

先日、TVを見ていましたら、

「震災のために、震災の被害を受けなかった地域でも、消費を自粛する傾向にあり、それが景気を低迷させる原因になっている。景気を上向かせるために、どんどん消費しよう」

ということを、経済ジャーナリストの方々が口々にお話されていました。

特に、観光関係のキャンセルが相次ぎ、観光地が大きな打撃を受けている、ということでした。

一方で、避難所の人たちが、温泉宿などに集団で移動し、疲れた体を癒やす、という取組みもあります。

私たちの地域にも、ホームセンターや家具店などがありますが、そんな店では開店前から行列ができています。

普段なら買うことのないような、台所用品、お風呂用品、寝具、カーテンなどなどが、飛ぶように売れています。

衣料品、家電なども同じことが言えると思います。

都市部等から救援物資を送って下さる方も、普段ならそんなに買わないようなものを、被災地のために購入して下さっています。

それ以前には、アパート、車などの需要がものすごい勢いで増加していました。

ある中古車販売業の方から聞きましたが、都市部の同業者が資金に物を言わせて、中古車を買占め、価格をつりあげており、1.5~2倍にもなっている、とのことでした。

地元では、水道・電気・ガス関係等、ライフラインにかかわる工事業者が、休む暇なく、働いています。

都市部にいる妹は、ゴールデンウィークにこちらに来ようと思い立ち、夜行バスを予約しようとしたところ、なかなか席がとれなかった、と言います。

都市部の被災地支援と被災地での生活復旧に関しては、かなりの消費が見込めるのです。

あとは資金の問題です。

地震保険金や災害見舞金等が支払われ、また、金融機関から融資が受けられるようになってくれば、これまで遊休だった不動産が流通し、住居や事業所の修繕・建設が進むと思います。

わざわざ、いつ地震になるか分からない、という不安を抱えながら遊びにお金を使うよりも、被災地(私が被災者なので、こういうのもおこがましいかもしれませんが)のためにお金を使えばいいのです。

そのための義援金も、被災地での消費や公共工事につながるのであれば、消費を自粛する、ということにはならないと思います。

同じ「消費」でも、非常事態の場合には、別なスキームがあるのではないか、と思います。

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正常化する日

なかなかすべてが正常化しない、ということが、ストレスの原因になっています。

「お手伝いできることがあったら教えて」という、ありがたい言葉をたくさんいただきますが、正常化するには、自分自身がやらざるを得ないこととか、耐えることで自分自身をこの環境に慣らしていかなければならない、などといった状況です。

モノではなく、行為とか、環境など、なのです。

今日はある避難所に行ってきました。

でもお会いしたのは、被災者ではなく、ボランティアの方々でした。

いつになったら、正常化するのでしょうか?

子どもたちのあどけない笑顔や寝顔が、せめてもの癒やしです。

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東日本大震災の被災者支援税制法案、国会へ

東日本大震災の被災者支援税制法案が国会に提出されています。↓ ↓

http://www.mof.go.jp/about_mof/bills/177diet/ss230419s.pdf

これは第1弾ですが、何回かに分けて税制改正が続くようです。

税理士会の役員の先生方も、さまざまな方向から提言を行なって下さっています。

被災者としての自分の立場から、あくまでも自分の周囲だけでのお話にとどまりますが、提言して下さっている先生方に、被災現場の状況やデータなどをお伝えいたしております。

私のような者の話でも、何かの役には立つかもしれません。

他にもお気づきのことがありましたら、是非お知らせください。

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ボランティア

都市部に住む高校時代の友人からメールが来ました。

看護師・保健師の資格を持つ彼女は、医療・保健に携わる専門家の視点で、いろいろと私の気づかないところまで援助をしてくれました。

彼女は先日、加須市の避難所に支援に行ってきたそうです。

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昨日、原発のため埼玉加須市に町ごと避難している双葉町の方々の支援に行ってきました。 廃校になった高校に畳を敷き集団生活されています。

ニーズが週毎に変わること、やはり実際行ってみてわかることが多々ありました。

水、お茶は山盛りにあるのに住民は野菜ジュースや果物ジュース、スポーツドリンク、ビタミンドリンクを望んでいること。朝夕の配給で400食ものお弁当が毎日廃棄されていること、韓国からの特大豆乳の支援物資が山のように残っていること。フルーツ、サラダを皆さん欲していること。

本当に長びくほど体調を崩してしまうのではと案じられました。

そして背広をきた国の団体がバスできて、関係者と名刺のやりとりを列をなしてやっていて‥

被災地では大変な状況のなか、皆さん懸命に過ごしていると思います。でもまだまだ、私達にできることもあると思います。

美穂ちゃん、可能な限り、どうか情報を送ってください。

石巻に直接支援物資を送る団体も関東にできましたので、皆さんの要望にあったものを送れるようにしたいと思います。

お子様が元気に過ごすことができるよう、お祈りしています。

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ありがとうございます!

昨日、都市部で、ゴールデンウィーク中のボランティアを募集したところ、定員200名に対し600名の応募があったそうです。

そのうち、半数がボランティアが初めてという方のようでした。

ほんとうに、このたくさんのお気持ちが早く結実できるように、と祈ります。

そして、現地に長くボランティアでいらっしゃっている方々も、自己責任で、避難所生活と同様の生活をしていることに、何か援助がないのか、と思います。

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女川2小よ、永遠なれ

昨日は、長女の女川第2小学校通学最後の日でした。

朝、クラスの皆に先生が伝えたところ、皆びっくりしていたようです。

下校時、長女を迎えに行ったとき、全員にメッセージとプレゼントを渡していただけるよう、先生にお願いしました。

掃除で教室から出てきた子どもたちが、口々に、

「ちーちゃん(長女のこと)、今日で最後なの?」「明日から別な学校なの?」

小さな町なので、クラスの子たちは、ほとんど保育所の年少組から同じ顔ぶれです。

長女が保育所に入ったばかりの頃は、行きたくない、という日も時々あり、家を出るときになかなか車に乗らなかったりしたこともありました。

そんなときでも、保育所に行くと、「あっ、ちーちゃん来た!」「早く一緒に遊ぼう!」と、待っていてくれるお友達がいました。

外ではおとなしい長女も、他の活発な子たちと一緒に、何とか5年間やってこれました。

同じクラスの子どもたちのおかげです。

最後の挨拶が終わって、お別れの時、「ちーちゃん、元気でね」「また会おうね」と明るく励ましてくれるお友達。

私の方が、これまでの友情に感極まってしまいました。

震災前31名のクラスが、今は27名。

そのほとんどが、避難所から通っています。

早く、安心できる暮らしに戻ってもらいたいです。

女川2小は私の母校でもあります。

その校歌には、海の子らしい勇ましさがたくさん詰まっています。

ありがとう、女川2小!!

・・・・・・・・・・女川第2小学校 校歌・・・・・・・・・・・・・・

1.潮の香りも新しく 栄える港 身に受けて

  気も勇ましく船出する 女川湾も窓に映え

  眺めて立てる 我らが母校

2.若いみんなの声高く 心をみがき 身をきたえ

  さざ波の児ら 手を結ぶ 育む命 洋々と

  望みもはるか 我らが母校

3.灯台の火は輝いて 行くてはるかな 道しるべ

  さざ波の児ら 意気高く 文化の光 ともす日を

  築くあしたの 我らが母校

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

私の小学校時代からの同級生も、たくさん町内に在住し、運動会などの行事ではよく顔を合わせていました。

しかし、今後、その全員と再会する、ということができなくなってしまいました。

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精神の茶

昨日、お茶の先生から手紙が届きました。

先生も、自宅兼稽古場が津波で流されました。

先生は表千家の家元の直弟子で、人生と生活のすべてをお茶に懸けている、と言っても過言ではない、と思います。

金額にすると、ものすごい額のお道具があったのではないかと思います。それらは、すべてご自身の収入によるものではなかったかと思います。

そのために、非常なご苦労をされていたかと思います。

それらを、すべて、なくされました。

先生ご自身は、その日の朝、東京に向かっていらっしゃり、無事でした。

「拝啓

皆様にはそれぞれに被害があり、お心や御身に大きな痛手となられた事とお察し申し上げます。

そのような中、御心配やらお励ましのお言葉をいただき、誠にありがとうございました。

私は、3月11日早朝6時に家を出て以来、45年住み慣れた家の玄関に再び足を踏み入れることが出来なくなりました。

有は無に通ずると云う言葉を身をもって体験させていただきました。

何も無くなりましたが、今こそ物に捕らわれることなく、理想としていた精神の茶が出来ることに胸を躍らせています。

今後は茶食い、茶のみ、茶数寄と、茶乞食に徹したいと思って居ります。

長い間学ばせていただきました茶の精神が今生かされると考えて茶の道があった事、皆様との御縁があったこと、心より感謝するものでございます。

桜の開花も近づきました。こんな時にも季節は訪れ、人々の心を癒してくれます。

穏やかな日々が訪れますことを祈り、お礼方々、新住所おしらせまで申し上げます。   敬具」

先生、本当にありがとうございます。

先生の強さにいつも学んでいます。

                                            

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まっくろくろすけ

土日は、主人と一緒に、今度入る貸家の掃除をしました。

震災当日は女川1小の避難所、翌日から1週間は女川2小の避難所、その後2週間は米沢の妹宅、4月からは石巻の叔母の家にお世話になっているのですが、いつまでも居候をしているわけにもいかないのです。

また、そろそろ子どもの学校や保育園も始まります。

アパート需要が供給を大幅に上回っているので、ようやく親戚の親戚から物件を紹介されたとき、断ることはできませんでした。

しかし、そこも床上30cmは浸水しており、また5年間も人が住んでいないため、かなりの修繕や掃除が必要でした。

平日は私も仕事があるので、5月後半から職場が開始する主人と、その物件を紹介してくれた親戚が、毎日掃除をしてくれていました。

泥水に浸かった板だけでなく、何年も人が住んでいない、という家は、何度水ぶきしても汚れが落ちません。

ふと、宮崎駿アニメの「となりのトトロ」に出てくる、「まっくろくろすけ」を思い出しました。

最近、宮崎アニメばかり、このブログの話題に出てきますが、先日の「いつも何度でも」という歌の歌詞に出てくる、「♪生きている不思議、死んでいく不思議」というくだりは、もしかすると、人間の命のことだけを言っているのではないのかもしれない、と、掃除をしながら思えてきました。

長年住み慣れた私たち家族の家は、津波で流され、何も残っていません。

今、掃除して、これから住もうとしているこの家は、5年間、誰からも見向きもされず、いわば「忘れられた、死んでしまった」家だったかもしれません。

それが今、息を吹き返そうとしています。

私たちが住んでいた家は、私たちの身代わりに死んでくれたのかもしれません。

そして、その命を、この新たな住まいに託してくれたのかもしれません。

今週末くらいには、「居候」身分から脱出できそうです。

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中小企業向け支援策ガイドブック Ver.02

中小企業庁から、

「中小企業向け支援策ガイドブック Ver.02」

が公表されました。

金融支援策・雇用面・税制面がまとまっています。

前回までのものに追加されているのは、リース債務の支払猶予・延長に関してです。

経済産業省より、リース会社に対し、支払猶予や契約期間の延長等の申し込みがあった場合には、柔軟な対応をするように、要請されているようです。

ご参考になさってください。

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いつも何度でも

昨日から、長女は、これまで通っていた女川町の小学校に行き始めました。

住所(居所)はもう石巻市なのですが、石巻市の小学校は始まるのが4月21・22日からなので、それまで家にいるのも・・・と思い、また長女の希望もあり、行かせることにしました。

途中までのスクールバスもあるようですが、昨日は初めてでしたので、主人が送り迎えしてくれました。

長女と一緒にお風呂に入りながら、同じクラスの子たちがどれくらい登校しているのか、聞きました。

「Sちゃんは?」「来てた」、「Mちゃんは?」「来てた」、「Rちゃんは?」「来てた」、「Aちゃんは?」「来てた」、「N君は?」「来てた」、・・・

結構、来ている子が多いのです。

同じ学区の子どもたちの家で、津波で流されていない家はほとんどありません。

避難所と小学校は隣り合っています。

恐らく、まだまだ避難所で生活している家庭が多い、ということでしょう。

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震災が起きて1ヶ月余りが経ちますが、自分自身が、鈍感で無頓着な性格だということに、救われています。

お客様でもあり、JCの後輩でもある友人から、昨日、こんなメールが来ました。

> 昨日はありがとうございました。ゆっくり話を出来る暇もなかったのですが、自分も会社のブログ更新しなくてはいけないとおもいつつ美穂さんのブログ拝見しておりました。
> 殺伐とした毎日ですが少しでも癒しになればと思い下記の歌とメッセージをお知らせします。
> チェルノブイリ原発事故で被災した歌手ナターシャさんが歌っている
>  「千と千尋の神隠し」の主題歌『いつも何度でも』
>
>  http://youtu.be/6JiOQ1UBkzU
>  ↑魂から放たれた希望の歌とメッセージです。
>

どうもありがとうございました。

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災害に関する主な税務上の取り扱いについて

国税庁は、平成23年3月24日に、「災害に関する主な税務上の取り扱いについて」を発表しました。 ↓ ↓

http://www.nta.go.jp/sonota/sonota/osirase/data/h23/jishin/atsukai/index.htm

これによりますと、例えば、取引先に対する災害見舞金等や復旧支援を目的とした売掛金等の免除は、税務上の交際費や寄付金には該当しない、被災自動車にかかる自動車重量税の還付などの取扱いが公表されています。

是非ご覧ください。

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避難時の心得

今、どこの地域でも地震が発生しております。

新しい建物の場合はそれほど倒壊を心配することはありませんが、古い建物の場合は倒壊することもあり、海・川に近い地域は津波がそれ以上に被害をもたらします。

昨日、あるお客様とお話していたときに、津波のときの写真を見せていただいたのですが、私が地震のときに通った道が、その30分後には津波のために、車がすべて流されていました。

あと5~10分遅ければ、渋滞に巻き込まれ、私も流されていたかもしれなかったのです。

本当に、今生かされている自分の命の尊さを感じます。

そんなことで、大地震が起きた時にどうすればよいか、何を準備し、持っていけばよいか、これまで感じたことを記したいと思います。

①車では逃げないでください・・・車は渋滞を引き起こします。渋滞している中から車から脱出すると、その車が他の人の通行の妨げになります。また、停電のときには信号も麻痺していますので、交通事故を起こす可能性もあります。地震のときにすでに車に乗っている場合は、できるだけ安全な場所に車を停めて逃げるほうがよいと思います。

②ガスの元栓を締めてください・・・大きな地震が来たからといって、大慌てする必要はありません。冷静に、まずガスの元栓を締め、ガスもれの危険を防いでください。

③家族や職場で、どこを避難所にするか、あらかじめ決めておいてください・・・地震になると、携帯電話が混み合い、連絡がとれなくなります。また、鉄塔自体が倒壊し、しばらく使えない場合も出てきます。その間に携帯電話のバッテリーはどんどんなくなっていきます。携帯電話を使わなくても家族が会える場所を決めておいてください。

また、家族が別な場所にいるときには、居場所を玄関のドアなどに貼っておくといいのではないかと思います。

④大事なものがあっても、取りに行かないでください・・・特に津波のときには、悲しいことですが、それらはあきらめてください。命があれば、後で手に入れることもできます。思い出の品も、心の中にあればいい、と割り切ってください。

⑤特に津波のときには、家族が別な場所にいるときには、それぞれで逃げる、と決めておいてください。

今回は、地震よりも津波による被害が甚大でした。阪神・淡路大震災のときには、火災による被害が大きかったのだと思います。

その地域の状況により、気をつけることは、それぞれ違うかもしれませんが・・・

ただ、言えることは、便利なものは使えなくなることが多い、ということです。

携帯電話、コンビニ、車、インターネット、テレビなど、日常生活で欠かせないものであっても、使えません。

また、避難するときに持っていくとよいものは、両手が空くように、リュックサックに詰めておいてください。

①タオル、②ペットボトルの飲料水(500mlくらい)、③食料・飴など、④懐中電灯、⑤乾電池、⑥携帯電話、⑦靴下、⑧筆記用具、⑨ティッシュ、⑩ビニール袋、⑪折りたたみ傘、⑫ラジオ、などでしょうか?

乳幼児がいる場合には、紙おむつやミルクなども必要ですね。

フード付きの上着を着ると、雨や風の強いときも大丈夫です。

その他、何かお気づきの方がいらっしゃいましたら、お知らせください。

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落とし物コーナー

土日明けのためか、今日は皆さんからたくさんの物資が事務所に届きました。

皆様の善意に感謝いたします。

本来なら、お一人お一人にお礼をしなければならないところですが、大変失礼とは存じますが、取り急ぎ、このブログにてお礼とさせていただきます。

また落ち着きましたら、ゆっくりご連絡させていただきます。

本当にありがとうございました。

なお、今、かなり多くの物資が届いており、部屋が足の踏み場もないほどです。

特に、紙おむつ・生理用品・女性の下着・タオル・お菓子はかなりあります。

それらがある程度なくなりましたら、また、お声掛け下さった方にご連絡いたします。

どうぞよろしくお願いいたします。

こちらは先日の大きな余震の後、また断水しましたが、今日になり、復旧しました。

と思ったら、また夕方地震です。

なかなか落ち着きません。

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土曜日、女川町の避難所にいる知り合いが、「お宅の金庫が見つかったようですよ」と連絡してくださいました。「落とし物コーナー」にありますとのこと。

女川までそれを取りに行きながら、避難所にいる長女のクラスメートの数家族に、それまでに到着していた支援物資を届けることができました。

大変喜ばれました。

そして、お互い、子どもたちの学校をどうするか、悩んでいるとか、今の状況などを話すことができました。

金庫を父と一緒に取りに行くと、何と、祖母の位牌も届けてありました!!

祖母は平成17年の私の誕生日に亡くなりました。

少し傷ついてはいましたが、ほとんどきれいなままでした。

「さすが、おばあさん!!」祖母は典型的な明治女でした。

そして、今日は、長女の7歳のときに撮影した七五三のときの記念写真も見つけて下さった方がいらっしゃいました。

その写真には、私たち夫婦と子どもたち3人が写っています。

少し泥がついて湿っていますが、ほとんどきれいです。

家にあったものが何もなくなってしまった今、このようなことが、今の私たちの喜びになっています。

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再び、地震

昨日の深夜も、また大きな地震が来ました。

少し生活が復旧しかけていたところに来た地震でした。

でも、初めの地震での教訓が、少しは、生き残っている人たちの身に残っているような気がします。

すぐに寒くない格好をして、懐中電灯や携帯電話、ラジオを持って、避難所に冷静に移動しました。

ふだんなら、「津波なんて来ない」と言いそうな父も、そういって津波に呑まれた人がたくさんいるので、黙って一緒に移動しました。

地震後すぐに、大津波警報・津波警報が発令されました。

避難所にも多くの人たちが詰めかけていました。

地震後2時間ほどで、警報は解除され、家に戻りました。

通ったばかりの水道も、またストップしました。

そんなわけで、今日の長女の始業式も延期になり、避難所に行くのも延期になりました。

でも、昨日、同じクラスのお母さんたちに電話して、必要なものを聞いたとき、楽しみにしていてくれましたので、早く、早くお届けしたいです。

私が仕事で余裕がないので、そういうお母さんたちが、家で遊ばせてくれたり、おやつを食べさせてくれたり、うっかり忘れていたことを、代わりにやってくれたりしていたのですから、・・・

皆さんのご厚意を、早く・・・

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小さくても

明日は、長女の通っていた小学校の始業式です。

住まいが変わるので、学区も変わるため、一時転校という形を取りました。

一時転校は、半年とか1年という単位でも可能なのだそうです。

新しい学校は4月の後半から始まるので、これまで通っていた学校の担任の先生からは、もしよければ、新しい学校が始まるまで、これまでの学校に通ってもいいですよ、とのありがたいお申し出をいただきました。

長女に聞くと、行きたい、とのこと。

明日、私と一緒にこれまでの学校に行こうと思っています。

これまで住んでいた女川町は小さな町ですが、小さいだけにまとまりがあって、行動が速いので、私はすばらしいと思っていました。

震災後、道路が寸断されていたり、自衛隊自体も被災していたため、救援物資が届かなかったときは、町内の水産加工会社が(これらの会社もかなり被災していたにもかかわらず)倉庫に残っていた在庫を、惜しみなく、被災者の食事に提供して下さいました。

また、それらを加熱したりするために、避難所になっていた学校の校長先生が、体育館の飛び箱や運動会の入場門などを壊して薪にして下さいました。その作業は、先生方やPTAのお父さんたちが担当しました。

給食室が電気が通っていないため、暗くて準備ができない、というと、すぐに先生方が理科室からアルコールランプをかき集めてきました。

外部からボランティアの方が来るようになったのは、震災から5日目くらいのことではなかったでしょうか?

それまで、町の職員の方や、学校の先生がた、町会議員の方々が、自分のことを顧みず、皆さんのために尽くして下さいました。それは今も同じ状況です。

ある自治体では、たくさんのボランティアの方がいらっしゃるにもかかわらず、なかなかうまく機能しておらず、救援物資がうまく配分されていない、ということをお聞きしました。

また、水産加工会社の倉庫にもたくさんの魚介類が温存されていたにもかかわらず、それを救援物資に振り向けることを申し出る方がおらず、むしろ、それらが腐ってしまうため、海に投棄しなければならなくなった、と聞きました。その量は、トン単位だとのことです。

明日、学校に行く時には、まだ避難所にいる同じクラスの子の家族や先生方、職員の方々に、皆さんからの救援物資をお届けしたいと思っています。

小さいことでも、確実に相手に届くことをしたいと思っています。

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本当は入園式

今日は、本当は、長男と次男の保育所が始まる日でした。

特に、次男は、初めて家を離れることになるので、「保育所に送るときに泣かれてしまうんじゃないか」と心配だったり、逆に、長男のように、すっかり友達と打ち解けてしまうだろうか、などと考えたりしていました。

地震の日の翌日に、本当は、保育所で保育用品の販売と説明会があるはずでした。

しかし、入るはずの保育所はもう跡形もなく、津波で流されてしまっています。

町内の他の保育所も、今後保育所として再開する見込みは未定、との張り紙がしてありました。

町内に幼稚園や保育園はありません。

地震は、子どもたちのお昼寝の時間に起きましたが、先生がたはすばやくパジャマに上着を着せ、裸足に靴を履かせて高台の避難所まで引率して下さいました。

幼い子どもたちにそのようなことをして避難させるのは、ものすごく大変なことだったと思いますが、毎月の避難訓練の賜物か、きっと、騒ぎ立てる子どもたちもなく、無事に避難できたのではないかと思います。

地震の2日目に、長男と会うことができました。そのときは、元気な顔をしていましたが、気を張っていたのでしょう、その後、「とても怖かった」と泣き顔になりました。

先生がたに、お世話になりました、そして、次男もお願いしたかった、と、お伝えしたいのですが、まだ術が見つかっていません。

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支援策以外の現場の状況

毎日、事務所全体の業務として、お客様のところに状況を伺いに行ったり、お客様の方から事務所にご相談に来ていただいたりしています。

経営者や経営者に近い立場の方は、自分のことを後回しにして、会社の対応に追われています。

早くその方々に、自分自身のことを考えていただきたいです。

国や金融機関の支援策はいろいろと出されていますが、それ以外の部分で、今の時点ではっきりしていない事項もたくさんあります。

本日、確認した部分をお伝えいたします。

<<国税関係>>

①所得税・個人消費税の振替納税(4月22日・4月27日)の納期限の延長は決定しているが、いつ振替になるかは未定

②平成23年分の震災の被害の損失を、平成22年分の所得税の計算に織りこむことができるかどうかについても未定

③納税者が死亡した場合の申告義務・納税義務は、原則的には遺族(相続人)が承継するが、全員死亡の場合や遺族にその認識がない場合などについての対応は未定

<<社会保険関係>>

①社会保険料の銀行口座からの引落は、3月31日引落分より、2ヶ月猶予されているが、いつまで続くのかについては未定

②この震災による事業の不振のため、給料を減額した場合、標準報酬月額の決定方法は、通常の「月額変更」(変動から3ヶ月平均で2等級以上増減した場合、改定)を適用するのかどうかは未定

「未定」のことが多いです。

分かり次第、お伝えいたします。

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良かった、という意味

「良かったね」という言葉の意味が、震災の後からこれまでの間に、変わってきています。

「見つかって一緒に生活できるようになって(良かったね)」という意味から、まったく逆の意味に使われるようになっています。

弔いのために見つかって、ということです。

火葬場が限界を超えたため、一度土葬にし、3年後掘り起こして火葬にするそうです。

私も捜している人がいます。

昨日見に行きましたが、別人かもしれません。

私が確認した方が、仮に別人でも、早くその方のことを確認して下さる方が見えて、弔ってほしい、と感じました。

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東日本大震災3週間

4月になりました。震災後3週間が経過しています。

3月の最終週は、米沢と石巻を1日おきに往復していました。

私たちが当初避難所にしていた長女の小学校に行ったとき、女川がどのように変わっているか、見てきました。

沿岸部は地盤が沈下し、1メートル以上深くなったと言われています。

Nitta_2

では、「奥行き」は、というと、この写真に写っている中央の商店には、地震前は国道があり、海岸駐車場、岸壁があり、海岸まで30メートルほどの距離がありました。

しかし、この写真では、右下の黒い部分まで水が来ています。これは満潮時ではありません。

つまり、30メートル分、海の部分が増えたということになります。

このお店の奥や前面にも商店がたくさんありましたが、この先は「海」になっており、通行止めになっています。

Hozei

女川湾はV字型になっているのですが、左側の岸壁にあった保税倉庫が、初めの写真の前面まで流れてきていて、まだ撤去されていません。

Onnnaeya

中央は、町内のスーパーですが、3週間経過してもまだこのままの状態です。

Sinkin

石巻信用金庫 女川支店です。看板があるので、かろうじて何があったか分かる状態です。

Sakakara

小学校に上る坂から見たところです。

がれきは少しずつ撤去されていますが、大量すぎて、道路が通れるようにするだけで手いっぱいの状態です。

女川町から、石巻市に回りました。

女川と石巻は隣り合っていますが、そこに「万石浦」があります。満潮時になると、このあたりから冠水が始まります。

石巻市渡波~湊・松並町~日和大橋~雲雀野~重吉町~大街道~日和山~中央、というルートで回りました。

渡波の中でも、海に近い方は、満潮時でなくても、まだひざ下くらい浸水しています。

湊・松並町には、多くの水産加工会社や運送会社、資材会社がありますが、がれきがまだ撤去されていません。

雲雀野には、日本製紙石巻工場があります。

東京ドーム30個分、という広さです。

水産加工業とともに、石巻市の産業を支えてきています。

日本製紙単独でなく、その設備の工事・メンテナンス関連の会社が、石巻市にたくさんあるのです。

都市部で広報を担当しているという友人が、日本製紙石巻工場から、紙が調達できなくなったので、その手当に四苦八苦している、と聞きました。

日本製紙は、今、このような状態です。 ↓ ↓

Nihonseisi1

↑ ↑ これは、日本製紙の工場の向かい側に、製品の紙のロールが水に浸かり、そのままの状態にされている状態です。

Nohonseisi2

↑ ↑ これは日本製紙の工場ですが、同じように、紙のロールがすっかり野ざらしになったままになっています。

Nohonseisi3

↑ ↑ 原料の原木も、津波に流され、そのままです。 ↓ ↓

構内の鉄道のレールも、すっかり曲げられ、機能できる状態にありません。

Nihonseisi4

大街道地区も、がれきがたくさん積み上がっています。

ある友人は、会社の屋根まで上がって避難していましたが、波が来て、同じ場所に避難していた1人が行方不明です。

また、ある先輩は、会社の2階で避難していましたが、津波で流されてくる人たちを20人くらい引っ張り上げて助けたそうですが、そのうち何人かは凍死してしまったそうです。

Hiyosiohasi 

日和山から見た日和大橋です。

大きな建物は何とか残っていますが、使える状態ではありません。

航空写真しか見たことのない方は、「意外に建物が残っているのでは」という印象があるかもしれませんが、がれきに埋もれている建物に入ることはできませんし、内部もめちゃくちゃです。

画像の右下から先は、火災で3日間燃え続けました。がれきと焼け跡しかありません。

Nakaze2

日和山から見た中瀬です。

中瀬に残っているのは、左奥にある白い建物、「石ノ森萬画館」「石巻ハリストス教会」だけです。

地震時、中瀬をはさむ内海橋に、多くの車が殺到し、車から脱出した人も車も、津波に呑み込まれてしまったそうです。

中瀬には、「岡田劇場」があります。

古くは芝居小屋、今は映画館となっていました。

10数年前、駅前にシネマコンプレックスができるとのことで、岡田劇場が閉館される、という話がありましたが、岡田劇場への愛着が多い市民、他地域に住む方が、それを惜しみ、有志で「岡田劇場がんばれ会」が発足しました。

毎年3~4回くらい、懐かしい映画や演芸会を開催し、賛同する企業が観客に食材やプレゼントを提供し、毎回楽しい会となっていました。

また、昨年、映画「エクレール・お菓子放浪記」という映画が制作され、石巻市では岡田劇場や日和山が、その映画の舞台にもなりました。

本当は、3月26日に、石巻市での試写会が予定されていました。 ↓ ↓

http://makicasi.cocolog-nifty.com/blog/2011/02/post-7828.html

岡田劇場も津波で流され、また、映画の上映会場もなくなりました。

せめてもの救いは、震災以前の石巻の姿が、映画に残されている、ということでしょう。

いつの日か、その映画を観ることができるようになったとき、懐かしさが悲しさを上回ってくれていれば、と祈ります。

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