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2011年5月

急速な淘汰

いずれこうなるだろう、とか、いつかはこうせざるを得なくなるだろう、とか、思いながら、後回しにしていた・なっていたことが、ここに来て、急速に、その事態に直面しています。

考えたり、悩んだり、迷ったりする時間が短縮された分、よし、とせねばならないのかもしれません。

その努力が省略できた分、ある意味、ラッキーだったのかもしれません。

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猫といちじく

以前の家の隣の隣に、叔父の家がありました。

叔父と父は、8人きょうだいの中で、父が6番目にして長男、叔父はすぐ下に生まれた次男で、男は2人だけでした。

家は近所でしたが、最近は、叔父と父はほとんど交流がありませんでした。

叔父の家には、小さい子どもがおらず、猫を飼っていました。

うちの子どもたち3人は、大人同士の状況にまったく関係なく、叔父の家に行っては、その猫を可愛がっていました。

休みの日になると、

「ねえ、トラ(猫の名前)のところに行ってもいい?」

と長女が聞きに来ます。

一緒に私も行った時には、頭を撫でたり、2本足で立たせて、長男と背比べをしたり、とても楽しそうでした。

叔父も、子どもたちと猫との様子を、楽しそうに見ながら、子どもたちに声をかけてくれていました。

子どもたちは、

「トラの毛、とてもすべすべしていて、気持ちいいんだよ」

と、行くたびに喜んで話していました。

私たちの家と、叔父の家の間には叔父の貸家がありました。

私たちの家の裏庭に、その貸家の駐車場に覆いかぶさるように、いちじくの木が植えてありました。

毎年、たくさんの大きな実がなり、砂糖で煮て食べたりするのが楽しみでした。

しかし、叔父は、「いちじくの実がなると、山からハクビシン(タヌキに似た小動物)が来て、悪さをするから、何とかしてほしい」

と、去年の秋に、父に言いに来ました。

父は、いちじくの木を、根元から斬りました。

震災後、叔父一家は、叔母の実家に近い、内陸の田園地帯に移ったようです。

私たちは、職場のある石巻市の貸家に住んでいます。

何と、その貸家には、大きないちじくの木があるのです。

今、花実がどんどん大きくなってきています。

よく見ると、以前の家の庭にあった木と同じ木が、けっこう植えてあります。

つつじ(花の色も同じです)、ドウダン、楓、椿、棕櫚、・・・

叔父の家の猫はどうなったかな、と思いました。

ペットのことに詳しい人に聞きましたら、「犬は人につくけど、猫は家につくから、飼い主が引っ越しても、きっと、前の家の近くにいるかも」

と言っていました。

町の役場で、支援金の申請をするときに、主人が、遠くからやってきた叔父と会ったのですが、猫がどうなったか、聞いてもらいました。

津波のときにどこかに逃げたようで、分からない、と言っていました。

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書類がなくても

決算等をしなければならないのに、書類が津波で流失し、何も残っていない、という場合はどうしたらいいでしょう?

とにかく、分かるものをそろえるしかありません。

取引先が被災していない場合は、そちらから請求書等を取り寄せることはできます。

会計事務所や税務署、商工会や金融機関等でも、一定の書類は入手できると思います。

それから、役員や従業員が保管しているもの(給与であれば、個人の通帳や給料明細等)などがあれば、それをもとに、計算をすることができます。

そういう努力をした上で、まだ不明な部分がある場合には、前期などの実績をもとにして計算する、などの方法でもやむを得ないでしょう。

(このような理由で書類が保存できなくても、青色申告や消費税の本則課税は適用できます。)

日々、処理をしているところは、意外にダメージは少ないかもしれません。

なお、法人税の所得の計算をする際、被災資産の修繕費用がかかる場合には、震災の日から1年を経過する日までに支出すると見込まれるその見積額を、「災害損失特別勘定」として処理し、震災のあった日の属する事業年度等の損金に算入できます。

保険金や補助金等がある場合には、それを控除します。

個人の場合は、平成22年度の所得税からその損害部分を控除できます。

詳しいことは、国税庁HPか、会計事務所にお尋ねください。

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ヒッチハイク

先日、お客様のところに行こうとしましたら、道路で手を上げている女性がいました。

左手をけがしているようで、包帯が巻かれていました。

まるでタクシーの運転手になったつもりで、その人の前に停まりました。

携帯電話で話し中だったようで、電話の相手に、

「今、優しそうな女の人に乗せてもらえたから」

と話していました。

「日和山まで行くんですけど、行けるところまででいいです」

「では、アイトピア通りでもいいですか」

と答えてから、日和山なら、それほど時間がかかるわけでもない、と思い、

「日和山のどこですか?」

と尋ねると、

「だんごやさんのところです」

「では、そんなに急ぐわけではないので、そこまで行きますよ」

お話を聞くと、北上川のすぐそばのアパートにいるときに地震に遭ったそうで、津波が直接アパートに入ってきて、泥水を5回ぐらい飲んでしまったそうです。

そこから、何とか抜け出して、「九死に一生を得た」ということでした。

目的地に着くと、どうしてもだんごをご馳走したいから、と無理やりだんごやさんに連れて行かれました。

おだんごは、子どもたちの数の分しか残っていませんでしたので、その分だけありがたくお土産をいただきました。

震災後は、車が流された人が多く、それでも、車でないと行けない場所に行かなくてはならず、けっこう、ヒッチハイクをしている人が多かったと思います。

それ以外のことでも、「お互いさま」と、協力しながら何とかその日を暮らしていたように思います。

もともとの知り合いとか、名前を知っているとか、そんなことはまったく関係なく、私も家族も、いろいろお世話になりました。

震災は大変な事態ですが、心のあり方がいい方向のままで、復旧・復興が進めばいいな、と思います。

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釜めし、復活

今朝、飲食店・食料品店4店舗が、同じ建物内に簡易店舗をオープンした、というニュースを新聞で見ました。

北上川の川沿いに店舗を構えていた、老舗のお店ばかりで、どの店舗も甚大な被害を受けました。

これまでとまったく同じような形の店舗ではないとは言え、再開の知らせがとてもうれしく、さっそく、予約の電話を入れました。

予約を入れたのは正解でした。

お昼少し前に、予約した釜めしのお弁当を取りに行ったのですが、50個用意した釜めし弁当はすでに売り切れ。

同じ店舗内の鮮魚店に来たお客様も、

「えーっ、もうないの?」「久しぶりにおいしいものを食べたかったのに」「みんな、おいしいものに飢えているんだよ」

私はさっそく「では、今のうちに予約をどうぞ」と、営業のサポート。

事務所に帰って、事務所の女子4名で、釜めしをいただきました。

とーってもおいしかったです!!

皆さんには、写真で、雰囲気をどうぞ。

Kamamesi2

Kamamasi1

釜めし弁当1個800円・鰻蒲焼き1串1,500円だそうです。

「私も!」という方は、当事務所までご連絡ください(店舗専用の電話がなく、個人の携帯電話しかないので、当面、こちらまでどうぞ)。

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税理士による大震災に関する無料税務相談会

6月1日から30日まで、石巻税務署にて、税理士による無料税務相談会が開催されます。

今回の震災に関連した税務の相談会です。

時間は午前9時から午後5時(お昼休憩は正午から午後1時まで)です。

あらかじめ、り災証明書や損害が分かるような書類を持参していただくとよいと思います。

私も1~2日間、相談員になりそうです(日程は未定です)。

なお、各避難所でも、税務署職員による説明会を実施しているそうです。

どうぞよろしくお願いいたします。

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バックアップ

今日は、次男の3歳児健診でした。

隣の石巻市に住民票を移したのですが、これまで住んでいた女川町から案内が来て、さらに「他の市町村にいても健診OK」とのことでした。

また、母子手帳も再交付してくれるとのことでしたので、長女と長男の分も作っていただきました。

臨時の健診会場には、他県からも多くの小児科の先生や保健婦さんが応援に来て下さっていましたが、これまで女川町でお世話になっていた保健婦さんの顔を見ましたら、涙が出てきました。

小さいまちなので、子どもたちのことだけでなく、親のことまで、保健婦さんがたは把握してくださっているのです。

ありがたいことですね。

待っている間、ユニセフの方が、健診の写真を撮ったり、ヒアリングを行なったりしていました。

私も、いろいろ質問されました。

他市町村に行っても、このように案内が来て、健診が受けられること、子どものことをよく分かって下さっていることなど、が、すばらしいとお話しました。

他のお母さんも、「まさか健診をしてもらえるとは思わなかった」と答えているのが聞こえました。

「改善点は」という質問もありました。

私は、「予防接種のデータをバックアップしておくべきだったのでは」と答えました。

また、「出産時の身長・体重などのデータも、産婦人科に残っていればいいけれど、そこも被災してデータが流失しているときには、どこにも残っていないことになる」

とも話しました。

予防接種を受けた年月日は、ほとんど覚えていませんし、また受けた種類についてはある程度分かりますが、複数回受けなければならないもので、接種期間に幅がある場合は、「あれ??」ということもあります。

母子手帳に記録するだけでなく、町のデータとしてデジタル化しておき、さらに、バックアップをとっておけば、母子手帳をなくしたときだけでなく、親に万が一のことがあったりしたときにも、万全ではないでしょうか。

本当は、予防接種だけに限らず、すべてのものについて、バックアップをとり、きちんとした退避・管理の体制を決めておく必要があるのではないか、と思います。

事業所に関しても同じことが言えるのではないでしょうか?

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時代のパイオニア

新しいことを考えるのは、とてもわくわくすることですね。

これまでの考え方にとらわれず、何か新しいことに取り組むということが、従来のものがここまで破壊されてしまった今、かなり可能である気がしています。

もちろん、いろいろな後始末に時間がかかるとは思いますが、新しいことに向けてアイディアをめぐらすことができれば、明るい気持ちでいられるように思います。

これまでの常識が、今は常識ではなくなっています。

それをチャンスととるか、ピンチととるか、・・・

新たな時代の幕開け、のような気がしています。

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方丈記

TVや新聞などで、「2000年前にも同じような地震があった」「地層に1000年前の津波の跡があった」というような報道を見ます。

昨日、ある研修でお聞きしたのですが(受け売りですみません)、鴨長明の「方丈記」に、その時代、毎年のように大災害が起きていたということが記されているそうです。

「方丈記」の冒頭の文、「行く川のながれは絶えずして、しかも本の水にあらず。・・・」は、中学校あたりの古典の時間に習ったと記憶していますが、恥ずかしいことですが、その後の文は読んだことがありません。

「安元の大火」が1177年、「治承の辻風」が1180年、「養和の飢饉」が1181~1182年、「元暦の地震」が1185年、と、次々に大災害が起きていた様子が書かれているそうです。

「元暦の地震」の章には、津波のことも書いてあります。

余震も3ヶ月ほど続いたようです。

しかし、この章の最後のくだりに、

「すなはちは、人皆あぢきなき事を述べて、いささか心の濁りも薄らぐと見えしかど、月日かさなり、年経にし後は、ことばにかけて言ひ出づる人だになし。」

とあります。

現代語に訳すと、「この地震の当座は、人は皆、世のはかなさを言いたてて、いささか執着心なども薄らぐように見えたが、月日がたち、年を経るにつれて、そのことを口にする人もいなくなった。」(お茶の水女子大 三木紀人先生)

1000年に一度の地震で、今生きている私たちの世代の次には、1000年後の世代が経験するのでしょうから、その間の世代には関係ないことなのでしょうか?

地震でどんなことが起きたか、それに対し、どんなことがなされたか、人々の心はどう変わったか、それは、1000年後の子孫が、直接、地震や津波の難を逃れるため、ということだけでなく、誰にとっても、生き方について考えることにつながるのではないかと思うのですが、いかがでしょうか?

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満潮とのつきあい

大震災に関するさまざまな支援策が出てきています。

金融関係だけでなく、事業用の仮設施設(店舗・事務所・工場等)を無償で貸し付ける、というような支援策もあります。

詳しくは、当事務所HPをご覧ください。

http://homepage2.nifty.com/Hiratsuka/

なお、このトップページの写真は、震災前の石巻の写真です。

平和だったこの頃が、懐かしく思い起こされます。

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満潮になると、冠水する地区があります。

車は通れませんし(当然、長靴です)、その時間になると、台所やお風呂の排水口から、臭いが出てくるそうです。

イタリアのベネチアのように、それを逆手にとってみる、などというまちづくりもあるのでは、と思うのですが(とはいえ、ベネチアも温暖化で水没することもあるそうです)・・・

私はベネチアには行ったことがありませんが、ベネチアに行ったことのある方に聞きますと、「写真はきれいに見えるけれど、実際は、どぶくさい臭いがしたよ」とのことでした。

生活面はもちろん、復旧が必要ですが、まちづくりに関しては、発想の転換も時にはいいのでは、とも思います。

ちなみに、私の涙腺の満潮時刻は、最近、深夜です。

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復興フェア

今日は、お客様から電話がありました。

「復興1発目で、フェアをしますので、よろしくお願いします!!」

元気のいい声の持ち主は、まだ30代の専務でした。

津波で、両親である社長夫妻とおばあさん、お店をなくしました。

今は、仮事務所で営業を開始したそうです。

声は元気だったけれど、どうしてるかな、と思い、仮事務所を訪問しました。

「自分の担当は営業だったけれど、会社の中身は親がやっていたから、どっちもいっぺんにいなくなってしまって、何にも分からなくて、」と専務。

「大丈夫、事業を始める人たちが、全員、何でも分かってやっているわけではないから」

それでも、社長夫婦がお店をやっていたときに、自分のお店のいい部分や改善点などは、実感しています。

先代の社長も、何もないところから、事業を始めたんだよ、と私も聞いていました。

考えてみれば、そのときと同じ状況です。

周りも皆、応援しています。

社長夫婦も見守っていることでしょう。

一緒にやっていきましょう!!

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生産と経営

平成18年頃より、この地域の個人農家が法人化するケースが増加しました。

当時の小泉首相が、国際競争力をつけるために、農家の大規模化を奨励したからです。

この地域では、水稲の他、転作作物として大豆・麦を作付しているところが多く、ほとんど全量を農協に出荷していました。

それ以前にすでに法人化していた農家が、うちの顧問先だった縁で、石巻市に合併した旧町のうち、ある町の農業法人のほとんどが、うちの事務所の顧問先となりました。

それらの法人は、それ以前は、近所の気の合う農家数件で生産組合を組織し、ある程度の計数管理も自分たちで実施していました。

しかし、法人化するということで、さらにきちんとした経理、そして経営を指導してほしいという依頼が、うちの事務所にあり、毎月、訪問するということになりました。

法人化し、これまでと大幅に変わったことは、毎月、給料として、生活費が保障される、ということです。

これまでは、生産組合の決算をし、その余剰金を、面積等の割合で配分し、個人の所得税の申告時には、事業所得として課税対象になっていました。

それらが、法人になると、法人の費用となり、個人では給与所得として、給与所得控除後の金額が課税対象となります。

法人としても、従事員への配分が決まっているので、事業計画が立てやすくなります。

農業は、その作物の収穫時期には収入がありますが、そうでない時期は無収入です。

あらかじめ分かっていることなのですが、年間を通じて収入が入るように働いている法人は、個人の給料もある程度確保した上に、法人としても利益が出るようになりました。

私の見る限り、法人化したからといって、必ずしも、そこで働く人たちの働き方が変わる、ということはありません(本当は少し変わってほしいのですが)。

この地域のことに限っていえばですが、農家は「生産者」でしかありませんでした。

「経営」は、それに近いことを、「農協」がやっていたのです。

仕入・販売・生産計画・資金計画・融資の申込み・代金の精算・決算・申告、などの業務です。

しかし、それが、個々の農家の「利益最大化」を追求していたか、というと、必ずしもそうではない、と思います。

漁業は、どうでしょうか?

漁業者が、震災後、本当に単独で再建できるでしょうか?

これまで、「生産」だけをしていればよかったのに、急にそれ以外のことも、自分だけでできるでしょうか?

後継者がなぜ不足しているのか、それは、仕事の内容だけでなく、生活が安定していないからです。

リスクに見合った生活のレベルになっていないからです。

さらに、今、生産していればある程度生活できた、という、震災前の生活と同じ状態でないことは、明白です。

漁協の考えは、「漁業権を与える代わりに、全量を漁協に出荷する」というものです。

しかし、それで、漁協が「この製品に付加価値をつけて、ブランド化する」等、この地域の製品の販売価格を上げるような戦略を考えてくれていたでしょうか?

個々の漁業者の生活水準を上げる、ということが、漁協の使命となっていたでしょうか?

ちなみに、平成19年のデータですが、生産量は、宮城県は全国2位ですが、生産額は全国5位に甘んじています。

つまり、「薄利多売」型の漁業だと言えます。

また、県内の漁業者数は、平成5年は17,599人ですが、平成20年になると9,753人に減少しています。

そのうち、40~59歳までの働き盛りの世代の割合は、平成5年では46.7%、60歳以上は18.9%でしたが、平成20年になると、40~59歳の割合は32.8%、60歳以上は37.6%と、高齢化が進んでいます。

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同業者で力を合わせて組織を作る、あるいは、他人のノウハウを借りる、ということも、こういう事態になってしまった今、考えなければならない、と思います。

しかし、それだけにすがりっきりということでなく、その中で、自分たちのやり方を通していけばいいのではないか、と思うのです。

それが、本当の「漁業者としての知恵」なのではないでしょうか?

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被災農家への支援策

東日本大震災で被災した農家を対象に、国の支援策が補正予算に盛り込まれたようです。

作付再開に向けて復旧作業を実施する場合、水田は10アール当たり35,000円、露地野菜は10アール当たり40,000円の補助金が支給されるそうです。

また、農産物の加工施設や出荷施設などを復旧する場合も補助金があるそうです。

資金繰り対策として、最長18年間無利子で借入ができる金融支援制度も設けられたそうです。

11日に名取、12日に大崎市で説明会があったようです。

16日には仙台で、自治体や農協の担当者を対象に説明会が開催されるようです。

詳しいことをお聞きになりたい方は、地元の農協や東北農政局にお尋ねください。

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複雑系を超える

今日は、街中や役所に行きました。

昨日の地元の新聞に、立花隆さんが寄稿されていました。

あの立花さんでさえ、メディアだけで、「今回の震災は、だいたいこのくらいの被害だろう」と認識されていたところ、現場に来てみて、改めて、その規模がはるかに想像を超えていた、と執筆されていました。

あの地震・津波から2ヶ月が経過したとはいえ、変わっているもの、変わっていないもの、それぞれが複雑に入り組んでいて、整理がなかなかつきません。

そんな中にいると、心が暗くなってしまいますが、自分の気持ちに火を灯さなければ、自分まで引きずり込まれてしまいそうです。

自分に克つ、というのは、きっと、そういうことを言っているのかもしれません。

物理的な、外部的なものに依存しているのではなく、もっと自分自身のことなのかもしれません。

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同じ震災でも

私は、今回の震災で自宅が流されました。

自分自身のことですので、TVや新聞の報道を見ても、自分自身の体験や実感とのギャップなども感じることができます。

しかし、隣県である福島県の被害については、TVや新聞で報道されていることしか分かりません。

昨日、また聞きですが、福島県に住んでおられる方のお話をお聞きできました。

TVや新聞等では報道されないようなことが、人々の間で起こっているようです。

教えてほしい、と思いました。

どんなことができるか分かりませんが、そして、同じ原発のある地域で生まれ育った身として、という意味からも、知りたい、と思いました。

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流してほしいもの

長男と次男が、新しい保育園に入園するに当たり、保育園から「調査票」を手渡されました。

そこに、出産時の状況や予防接種の履歴を書く欄がありました。

出産時がどのような状況だったかは覚えていますが、子どもたちのそのときの身長・体重は覚えていません。

予防接種も、だいたいは受けていて、その年齢にならないと受けられないものだけが残っていたと記憶していますが、接種年月日までは覚えていません。

すべて母子手帳を見れば分かることなのです。

しかし、母子手帳は津波で流されてしまいました。

出産した病院は仙台でしたので、出産時の記録は残っていると思いますが、予防接種は町内で受けていましたので、町の保健センターも津波のため、何も残っていません。

母子手帳の中には、妊婦健診のときの、エコーの写真なども入れておいていたのです。

うちでは子どもたち3人とも夫立会出産で、健診時もほとんど主人がつきあってくれていましたので、その写真を見ながら、「この子たちが大きくなって、この写真を見たら何て言うかな」と話したりしていたのです。

一方、先日、主人と父が町の拾得物コーナーに行きましたら、私の高校1年生のときの通信簿が見つかりました。

保護者のコメントの欄に、母が事細かに小言を書いており、欄が足りなくて裏面にまで書き綴っている有様です。

津波も、せめて、流してほしいものはそのまま海の底まで流してくれればよかったのに、と思います。

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相思相愛

震災の被害に遭った地元の小売店が、そろそろ、仮店舗や自宅などを拠点にして、仕事を再開させています。

お話を聞きますと、

「お客さんから”いつから始めるの?”と聞かれるから」

というのが、店舗再開の理由でした。

なくなってしまうと困るお店や会社、医療機関等々、私も同じように、地元に何件もあります。

かけがえのない存在であることが、お互い感じられるようになった、ということが、このような状況下でも「よかった」と思える点ではないでしょうか。

利益追求だけでなく、人と人とのつながりや、コミュニケーションの強さ、そして、事業をなぜ続けてきたのか、という究極の理由が、こんな場面で、感じられるのです。

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地震の周期?

地震の周期、というものがあるかどうかは分かりませんが、3月11日のあとの大きな余震、4月7日は、3月11日から数えて28日目でした。

次の28日目、つまり、3月11日から数えて56日目は、5月5日です。

皆さん、気をつけて、避難等の準備を怠りなくしてくださいね。

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