« 今生きていることだけの同志 | トップページ | 見えてくるもの »

まちの喪失

長男がまだよちよち歩きのときのことです。

家にいた母が、手が離せなくなっていたときを見計らって、彼は、玄関を出、門を出、道路に出ました。

母は、長男が外に出たことにまったく気づかなかったのです。

すると、車で家の前を通ったあるおじいさんが、長男が1人で歩いているのに気づき、車を降りて、長男を抱いて、「この子、お宅のお孫さんじゃないですか?」と家まで連れてきてくれたのです。

母はびっくり!!

私たちが住んでいたまちは、こんなまちでした。

どこに、どんな家族が住んでいて、どういう仕事をしていて、というようなことが、暗黙の了解になっているようなところでした。

しかし、私たちが住んでいたところは、津波ですべてを流されました。

家もなく、まちもなく、新たに家を建てることもできないため、その一帯は人の住まない地域になってしまいました。

子どもたちは、たくさんの温かい目と心に囲まれていたのです。

そんな多くの優しい人たちも、犠牲になってしまいました。

長男が生まれたばかりで、3歳だった長女が赤ちゃん返りになってしまって、どうしたらいいか分からないでいたとき、「町で、小学校のALTの先生が、子ども向けに英会話の教室をしてるよ。ちーちゃん(長女のこと)、興味があるんじゃないかな」と誘って下さった、金物屋さんの奥さん。

いつもプロパンガスの検針に来た時、楽しい雑談をしていってくれました。

いつも行く薬局の社長さんは、独身でしたがとても優しくて、私が結婚したときに、「三国一の旦那さんと結婚したね」と喜んでくれました。

長男がおむつかぶれになったときに、家まで来て、ステロイドの入った薬を使っていいものかどうか、見て下さいました。

我が家のホームドクターと言ってもいいほど、うちの家族は、具合が悪いと感じると、そのお店にいろいろ相談しに行っていました。

父の日・母の日になると、プレゼントを買いに行った洋品屋さん。社長さんも奥さんもいつも明るく、ざっくばらんな話が尽きませんでした。

記念写真を撮るときに必ず行っていた写真屋さん。毎回、スタジオで楽しい時間を過ごしました。

もう永遠にお会いすることができません。

なぜ、なぜ??

まだ信じられないのです。

無事だった方たちとも離れて暮らす日々が、もう半年になろうとしています。

子どもたちのクラスメートのお父さん、お母さんたちにも、いつも助けられていました。

「ちーちゃんのだけ残っていたから、持ってきてあげたよ」と、夏休みの小学校に残っていたアサガオの鉢を、我が家までわざわざ持ってきてくれたお母さん。

大雨が降ると、一緒に学校に行っていた子の家のお父さんが、一緒に車に乗せて学校まで送ってくれていました。

あの日から、何日経ったのでしょう??

ついこの前のことのような、でも、遠い日々のことのような、時間感覚が分からないのです。

|

« 今生きていることだけの同志 | トップページ | 見えてくるもの »

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 今生きていることだけの同志 | トップページ | 見えてくるもの »