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1日目の夕飯

連休中は、妹たちのうち2人の一家が前半・後半と、遊びに来ました。

子どもたちは、同じような年齢がそろい、大はしゃぎ!

家は保育園と化しました。

関東に住んでいる妹が、地元に工場があるという全国区のお菓子をお土産に持ってきてくれました。

「うまい棒」でした。

その県限定で売られている味は、「納豆味」!

「うまい棒」は、震災の日、避難していた女川1小の暗い廊下で、夜の食糧として配られたものでした。

廊下で、女川1小の先生が、

「お子さんをお連れの方はいますか?」

子どもと一緒の人は、おにぎりかパンを配られたような気がします。

子どもが一緒でない人は、「うまい棒」1本を支給されました。

それらは、近くのコンビニが無事だったので、そこから提供されたものでした。

そのときは主人と父が一緒でしたが、子どもたちがどうなっているか分かりませんでしたし、また、今後どうなるかも分かりませんでした。

そこで、主人と私は、「うまい棒」を食べずに、とっておきました。

翌日、たぶん子どもたちが避難しているかもしれない、女川2小に向かおうとしたとき、女川1小の先生方が、握ったばかりのおにぎりを配りました。

そのご飯の温かさと塩味!

一晩だけだったのに、しばらくそのようなものを口にしていなかったように思えました。

こんなものが、このような状態のときに食べられるなんて、と思えました。

女川2小に着いた時、子どもたちは「うまい棒」を喜んで食べました。

こちらではおにぎりさえ出ず、子どもたちは、知り合いが母に手渡してくれた「クリープ」のパウダーを、指に唾をつけて口にしていたようでした。

「うまい棒」の他にも、車にあったお菓子などを持っていきましたが、すぐに食べることはせず、小出しにして子どもたちに食べさせたこと、避難所で別の家族からいただいたふかし芋が見当たらず、家族全員でがっかりしていたら、廊下に敷いていた体育用のマットの下からつぶれて出てきて、大笑いしながら食べたこと、・・・

避難所には1週間しかいませんでしたが、ものすごく長く過ごしたように思えます。

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家族の時間」カテゴリの記事

コメント

 子連れではない大人だけの人に「うまい棒」が配られたのですね。一瞬逆かと思いました。大人は我慢できるからということなのでしょうね。
 また、丸岡様がその「うまい棒」をきっと会えると信じた子供さん達のために食べずにとっておかれたのですね。子を思う親の心はいつの時代も本当に尊いものですね。いつの時代もそうやって子供は宝として皆さんに育てられてきたことを思い起こさせていただきました。ありがとうございます。
 果たして自分は子供にそれだけのことがしてやれているのか・・・?反省しきりです

投稿: かめ | 2012年5月 8日 (火) 16時32分

震災の日、うちは幸い家族そろって近くの中学校に避難していました。みんなの安否がわかるまで、顔を見るまでの不安な時間、未だに思い出すと緊張が走ります。
そのときは、女川の状況も知らず、情報が入らないことに焦りだけかんじていました。
みほちゃんのブログで状況がわかったこともありました。、自分だったら・・・・どう行動しただろう・・・と自問することもあります。
うまい棒のはなしも、考えさせられました。
子どもを思う気持ち、きっと同じかな。

GW,女川に行きましたが、急遽だったので、連絡できず残念。
またの機会に・・・

投稿: mitsue | 2012年5月 8日 (火) 21時46分

かめさん、コメントありがとうございます。
「うまい棒」は、お菓子としてではなく、食糧として配られました。
避難所で、救援物資がヘリコプターで到着した4日目くらいまでは、もしかしたら、廊下に貼ってある画用紙なども食糧にしなければならなくなるのでは、と思えるほどでした。
サンマが数切れ入った薄味のおつゆも、ありがたかったです。
これらをいただくのに、避難所にいる人たちは行列を作りましたが、子どもたちはいつも前の方に並ばせていただきました。
地域全体でも、見知らぬ子どもであっても大切にしていただきました。
mitsueさん、コメントありがとうございます。
連休は女川、大変だったようです。
妹たちも女川高校の仮設商店街に行きましたが、高台以外は、また津波が来たかのごとくだったようです。
外国人ボランティアの方のおみこしはあったようでしたが・・・

投稿: miho | 2012年5月 8日 (火) 22時40分

「うまい棒」、「温かい塩味のお握り」 「つぶれたふかし芋」のお話、 キューッと胸の奥が締め付けられました。


      「 トマトの放浪記」 のつづき

 4月3日 台風並みの天気予報の中、羽田ヘ。 不安の中 無事に到着。  横浜行きを変更して、孫のところへ直行。

思いのほか歓迎ムード。 よかった! 
会うのは年に1回か2回。
後は 、たまーに パソコンでTV?電話。 すぐ飽きてバイバイといわれ、ゲームに夢中。 ま、こんなものでしょう、とあっさりめのバーバ。
  
夜は予想の 雨、嵐! 

そして翌朝、カーテンを開け、ベランダのガラスの結露の水分を指で撫で、天気を確かめる。 思わずそばにあった、年期の入ったバスタオルで、チラッと、拭いた。 

とたんに、「お母さん、止めて―」と叫びぶ。 ン???  つまり、昨日、洗って乾いたばかりの 一人息子の「龍ちゃんお気に入りタオル」、私の一指で、洗濯機に入れてしまった。

そんなに汚い?  結露って水蒸気みたいなものじゃない?と云い返してみた。 ああ、ガラスの 埃 が汚いか、とも思ったけど・・。

嫌なのー、もう! と嫁。 綺麗好きのわが嫁。 綺麗好きでは100点。 姑の私も見習うべき!

でもでも、どうするんだろう? 今回のような震災の時、と想像。
 
余り綺麗好きで育てると抵抗力、とか 免疫力とか弱くて、アレルギー体質になったり、病気になり易くならない? とさらに食い下がる。   いいんですーッと、嫁。
 
立場替われば、実母でも姑でも 厭か~? と自分に置き換えて考えてみる。  いやかも・・。

靴下も他の下着も一緒に洗う嫁。 分ないの? との答えに、体から出たもので、同じ汗です!と、 なるほど。 それから 我が家では思い切って一緒に放りこむ。 簡単でいいか・・・。

投稿: トマト | 2012年5月12日 (土) 00時26分

トマトさん、コメントありがとうございます。
大丈夫です、震災のときには、たとえ潔癖なかたにとって「衛生的」と思える環境でなくても、「生きているだけでありがたい」と思えますから・・・
経験してみないと分からないことですね。
「あのときのことを思えば」どんなことにも耐えられる。それは、震災のときのことより、戦時中に生きた人たちからの言葉のほうが、ものすごく説得力があります。

投稿: miho | 2012年5月13日 (日) 00時22分

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