納会メニュー

先日、お茶のお稽古の納会がありました。

一通りお稽古したあと、お料理をいただきました。

メインは、「埋み豆腐」と「イワシ」です。

埋み豆腐は、お椀に入れた真四角の湯豆腐の上に、ご飯を盛り、おろした根ショウガをかけ、そこに、しいたけなどを入れただし汁をかけます。

年末の忙しい時期、ご飯もゆっくり食べられないことを考え、ご飯とおつゆが合体したメニューがルーツのようです。

納会で埋み豆腐を皆さんでいただくと、しみじみと年の瀬であることを感じます。

イワシは、焼いて、ユズリハの葉っぱをお皿に敷き、その上に盛り付けます。

今やイワシも高級魚なのですよね・・・

その他にも、先輩方は、冬至が近いので、かぼちゃのお煮つけやら、漬物やら、カツオの味噌焼きやら、それぞれの家庭の味が並びました。

私も、杏仁豆腐とマンゴープリンのデザートを作って持って行きました。

素敵なひとときでした。

先生も私も、自宅が流されましたが、一緒にお稽古している方でも同じように自宅が流失したため、仮設住宅からいらしている方もいます。

毎回、着物を着ていらしています。

揺るがない強さを感じます。

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自給自足

茶道では、灰と炭でお湯を沸かします。

お稽古のときも同じです。

お客様にお茶を差し上げるタイミングに、ちょうどよいお湯加減になっている、というのは、ものすごい技術だと思います。

炭と炭の隙間の空け方などで、お湯の沸き方が違うのです。

うむむ・・・

でも、よく考えると、昔は自分の家で薪を割り、たきぎにして、ご飯を炊いたり、お風呂を沸かしたりしていたのですよね。

つまり、自分の家で、エネルギーをつくっていた、ということでしょう。

太陽光発電等で電気をつくり、それを買ってもらっても、そのしわ寄せが、電気代に上乗せになるのであれば、・・・

再生可能エネルギーというのも、売ったり買ったりすることなく、そのまま自分の家で使えるようなシステムにならないのでしょうか?

そう考えたら、昔はエネルギーも自給自足だったのだ、と思いました。

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楓葉経霜紅(ふうよう しもをへてくれない)

先日、お茶のお稽古に行ってきました。

震災で、「こんなときにお茶なんて」と感じる方も、いらっしゃると思います。

私は、それをわがままだと思いながらも、以前から、自分が、いつ行けなくなってもおかしくない状況だと思っているので、できる限り伺っています。

震災後は、先生も状況がまったく変わってしまいましたが、稽古場を貸して下さる方がいらっしゃいましたので、そちらをお借りしてお稽古をしています。

先日のお軸(掛軸)は、

「楓葉経霜紅(ふうよう しもをへてくれない)」

でした。

今の季節に合った禅語ですが、それ以上に、今の私(たち)の心に沁み入ります。

楓の葉は、骨身に沁みるような厳しい霜の時期を耐えるからこそ、真っ赤に色づくのだ、ということです。

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八角磨盤空裏走(はっかくのまばん くうりをはしる)

今日9月13日は、表千家7代目家元の如心斎(じょしんさい)の命日です。

如心斎は、表千家の中興の祖と言われ、家元制度の確立や「七事式」と呼ばれる7つの茶道の式作法を制定するなど、表千家の再興に尽力しました。

そういった功績を讃え偲ぶため、その命日を、彼が大徳寺の大瀧和尚から授かった「天然」という号にちなんで、「天然忌」として、茶事を催します。

如心斎は、「八角磨盤空裏走(はっかくのまばん くうりを(に)はしる)」という禅語により悟りを得た、とのことです。

如心斎が生きた時代は西暦1,700年代でしたが、これはそれより400年ほど前の、大徳寺の大燈国師の言葉です。

「八角磨盤(はっかくのまばん)」とは、鋭い岩でできた石臼のような古代の武器のことだそうです。それが、空中を飛ぶ、というのですから、ものすごい破壊力をもつ、ということです。

そういう武器が、空を飛んで万物を破壊する、というのは、通常では考えられないことですが、この言葉は、この世では合理主義を超えるものも起きうるのだ、ということを表しています。

如心斎の時代から300年を経て、今回、この言葉通りのことが現実となりました。

「無一物中無尽蔵(むいちもつちゅうむじんぞう)」という言葉もあります。

何もないということは、失うものがない、つまり、逆に考えれば、無限だということです。

今こそ、悟りを得る絶好の機会なのです。

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形が変わってもできること

形ややり方が変わっても、学ぶことはたくさんあります。

先日、お茶の先生のところに行きました。

先生のお宅兼お稽古場は、津波で押し流され、使える状態ではありません。

先生も、今は息子さんとアパート住まいで、お道具や着物を置いておくスペースはないのです。

そこで、被害の少なかったお茶室をお借りしてお稽古をすることにしました。

これまで準備は先生がなさっていましたが、準備も茶道の重要な部分です。

お借りするお茶室に早朝からお邪魔することは難しいので、準備のしかたもお稽古として教えていただくことになりました。

当たり前のように準備されていたお道具なども、いざ自分がやってみると、まったく同じようにはできません。

そして、お茶や日本文化の「座学」的な部分の知識も、毎回、質問形式で、全員で勉強することになりました。

「お点前はある程度できるようになってきたから」

と先生。

いつでも、いつも、新たなことを学ばせて下さり、ありがとうございます。

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精神の茶

昨日、お茶の先生から手紙が届きました。

先生も、自宅兼稽古場が津波で流されました。

先生は表千家の家元の直弟子で、人生と生活のすべてをお茶に懸けている、と言っても過言ではない、と思います。

金額にすると、ものすごい額のお道具があったのではないかと思います。それらは、すべてご自身の収入によるものではなかったかと思います。

そのために、非常なご苦労をされていたかと思います。

それらを、すべて、なくされました。

先生ご自身は、その日の朝、東京に向かっていらっしゃり、無事でした。

「拝啓

皆様にはそれぞれに被害があり、お心や御身に大きな痛手となられた事とお察し申し上げます。

そのような中、御心配やらお励ましのお言葉をいただき、誠にありがとうございました。

私は、3月11日早朝6時に家を出て以来、45年住み慣れた家の玄関に再び足を踏み入れることが出来なくなりました。

有は無に通ずると云う言葉を身をもって体験させていただきました。

何も無くなりましたが、今こそ物に捕らわれることなく、理想としていた精神の茶が出来ることに胸を躍らせています。

今後は茶食い、茶のみ、茶数寄と、茶乞食に徹したいと思って居ります。

長い間学ばせていただきました茶の精神が今生かされると考えて茶の道があった事、皆様との御縁があったこと、心より感謝するものでございます。

桜の開花も近づきました。こんな時にも季節は訪れ、人々の心を癒してくれます。

穏やかな日々が訪れますことを祈り、お礼方々、新住所おしらせまで申し上げます。   敬具」

先生、本当にありがとうございます。

先生の強さにいつも学んでいます。

                                            

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衣と食

ある親しいレストランのシェフが、いつだったか、こんなことを言っていました。

「食べ方とか、食事後のお皿を見ると、だいたい、その人の味覚の加減が分かる」

また、お茶の先生は、こんなことを言っていました。

「お着物やお洋服のセンスで、その人が、お料理が上手かどうかが分かる」

普通はまったく関係ないようなことに感じられますが、よく考えてみると、なるほど、と思うことがあります。

味が分かる人は、どのような食材や調味料、調理方法でその味が出ているのかが分かる人ではないかと思います。

そのような人は、おいしいものは、それなりに、食材の調達や扱いが大変なことや、調理に時間がかかることを知っています。

すると、テーブルに肘をついたり、かっこんだり、見苦しいお皿のまま食事を終えたりすることはないのです。

また、身にまとうもののセンスがいい人は、色や素材の組み合わせのセンスがいいということであり、それは味や料理の見た目・盛り付けにも活かされる、ということではないかと思います。

まぁ、今の時代は、前者(衣のセンス)>後者(食のセンス)、なのでしょうが・・・

そういう目で見ている人がいると思うと、緊張しますね。

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伝統文化子ども教室

先日の日曜日、長女が毎月通っている、「伝統文化子ども教室」のお茶会がありました。

表千家石巻教授者会の先生がたが、6月から毎月、子どもたちにお茶を教えて下さっているのですが、今回が最後、ということで、記念のお茶会が開かれたのです。

伝統文化子ども教室は、文化庁の伝統文化事業の一環で、他にも華道などの教室もあります。

表千家の茶道に関しては、今回が2期目でした。

お茶会では、子どもたち自身がお点前をし、お菓子やお茶のお運びをし、水屋(裏方)を担当しました。

毎週のお稽古でもなかなか覚え切れないのに、月1回でこれだけ身につくということは、子どもの吸収力というのは、ものすごいですね。

お点前だけでなく、水屋(裏方)では、どのようなことがなされているか、つまり、見えない部分でもいろいろな働きがあってこそ、表に見える部分に反映されるのだ、ということを感じたのではないかと思います。

最後の修了式では、先生方手作りの修了証が、子どもたち1人1人に手渡されました。

子どもたちは、素直に喜び、「また同じメンバーでやりたい!!」と、生き生きとした表情で先生がたと向き合っていました。

先生がたも、名残惜しそうでした。

会場費は、文化庁の助成金で賄うのではないかと思いますが、茶道をするには、茶碗、釜、なつめなどの茶器・茶入、茶杓等々、数え切れないほど多くの道具を必要とします。これらは、会場に備え付けてあるわけではありませんので、すべて先生がたの私物を使わせていただいており、毎回、先生がたが大きいものも細かいものもすべて自宅から運んできて下さっているのだと思います。もちろん、先生がたはボランティアです。

子どもたちの負担は、お菓子とお茶代くらいで、無料同然の金額です。

この伝統文化を次世代に継承する文化庁の事業は、23年度で終了だということです。

つまり、今年~来年で打ち切りだということです。

昔の武士は、教養も必要な資質とされ、茶道・書道・舞・唄などの修行も欠かさなかったのだと思います。

国を支える原動力は、そのような教養を基盤とした素地が重要だと思いますが、そういうものがなかなか理解されない時代になってきたのでしょうか。

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お酒が飲めない人のお酒

私は、懇親会・飲み会の類は、好きなほうです。

皆でお食事しながら、わいわいやるのが好きなのです。

そんなとき、だいたいは自分の車で帰ることが多いので、アルコールを飲むことはほとんどありません。

無粋だと思いながら、ウーロン茶(これも体を冷やしますし、飲みすぎると胃がおかしくなりますので、温めてもらうことが多いです)や、場所によっては温かいお茶を出していただくこともあります。

今はノンアルコールのビールがあるようですが、ビールそのものはあまり好きではないので、そういうものを飲もうという気にはなりません。

以前、ノンアルコールの赤ワイン、というものを飲んだことがあります。

おいしいと思いましたが、ぶどうジュースとどう違うんだろう、とも思いました。

茶道のお茶会でも、正式な場には、日本酒が出されます。

和服の女性でも、多くの方が、車で来るのです。

同じ門下の先輩に、造り酒屋の奥様がいらっしゃり、いつもおいしいお酒を提供して下さるので、それをいただくことができないのは、本当に残念なことなのです。

しかし、先日の初釜では、「甘酒」が出されたのです。

これなら、アルコールは入っていませんし、体も温かくなり、「お酒をいただいた」という感じがします(私だけかもしれませんが)。

心遣いに大変感謝しました。

そういえば、去年のお正月に松山に行った時も、今年のお正月に宮島に行った時も、家族全員で甘酒を飲みました。

その場でつくったものは、やはりおいしいですね。寒いので、体にもいいですし、子どもも一緒に飲めます。

日本酒メーカーがつくったものは、おいしいものとそうでないのがあります。

「大吟醸」「純米酒」などのブランドを確立しているメーカーのものはおいしいと思いますが、紙パックで売られているような製品のメーカーのものは、同じ「甘酒」といっても、アルコールを若干入れているものがあり、これはあまりおいしいものではないと思います。

今度飲み会がありましたら、「甘酒はありますか」と聞いてみようかと思っています。

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日出乾坤輝(ひいでてけんこんかがやく)

表題の言葉は、先日の初釜のくじ引きで、私がいただいた色紙に書いてあった言葉です。

臨済宗の慧覚(えかく)和尚様の語で、「日出乾坤耀、雲收山岳青」(日出でて乾坤輝き、雲収まりて山岳青し)と続くようです。

乾坤というのは「天地万物」を表します。

意味は、「太陽が出て、天地は光り輝き、雲も消え失せ山々が青々と見える」ということだそうです。

ただ、本来この言葉は、仏が智慧の光でもって、無明の闇を照らし、真理をあらわにすることを、比喩的に表現されたものだそうです。

これまで、雲のような煩悩がおおいかぶさっていたのが、真理を得ることによって一気に晴れ渡り、澄み切った心持ちになったことを表しています。これは禅の言葉であり、真理会得というと大仰でありますから、普段の生活の中での、疑問や悩みの解消ととらえてもいいのではないか、という解説があります。

そして、大事なことは、世界が輝いて見えるのは、実は、自分が輝いているのだと気づくことなのかもしれませんね。

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